恋の苦しみは、あらゆる他の悦びよりもずっと愉しい
イギリスの詩人、文芸評論家、劇作家。
「恋は治療し得ない病である。」 ドライデンは、ノーサンプトンシャー州オーンドル(Oundle)近郊の オールドウィンクル(Aldwinkle)村の、 彼の祖父が諸聖司祭を務めていた牧師館で生まれた。 いくつもの英雄劇・風趣喜劇を世に送り出したが、 その中でも最も成功したのは『All for Love』 (1677) である。 この作品はシェイクスピア時代の ブランク・ヴァース が用いられているが、 そもそもこの作品はシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』の改作である。 ドライデンは場面展開の多い原作を、恋人たちの最期の一日凝縮し、 時代に合った作品に作り変えた。 またドライデンは批評家としても知られており後にジョンソン博士が 「イギリス批評文学の父」と呼んだように、優れた業績を残している。 その文章が正確かつ明瞭な散文で書かれていることから、 「イギリス近代散文の父」とも呼ばれることがある。 ドライデンは1700年に逝去し、ウェストミンスター寺院に埋葬された。 ドライデンの詩人としての影響は生前には計り知れないほど大きく、 彼の死によりイギリス文学界が受けた損失は、 その影響を受けたエレジーからも明白に見て取れる。 著「Annus Mirabilis」、「All for Love」、喜劇「The Tempest 」など。
君が偉大な才能を持っているならば、勤勉がそれに磨きをかけるだろう。 君が普通の才能しか持っていないならば、勤勉がその不足を補うだろう。
イギリス 画家 Sir Joshua Reynolds (ジョシュア・レノルズ) 1723-1792年 「人間の真の性格は、彼の娯楽によって知られる」 1723年、イングランド南東部デヴォン州のプリンプトンに生まれる。 1749年から1752年にかけてイタリアに学び、ラファエッロやミケランジェロなどの 古典を熱心に研究した。 1768年にロイヤル・アカデミーが創設されるとその初代会長となり、 実作のみならず絵画の理論家・教育者としても大きな役割を果たした。 レノルズは、ラファエッロのような古典絵画の巨匠の様式(グランド・マナー)を重視し、 聖人・神話・歴史上の事件などを扱った「歴史画」を絵画ジャンルの首位に置いた。 肖像画の制作にあたってもモデルを宗教的・歴史的道具立てのなかで 理想化して描いた。 作品「マスター・ヘア」「ネリー・オブライエン」など。
私達は物を生産するだけの為に働くのではなく 時間の価値を見いだす為に働いているのだ。
フランス 画家 Ferdinand Victor Eugene Delacroix (フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ) 1798-1863年 「君の健康を回復するためには、薬も療法も君に必要ではないのだ。 もっとも簡単に暮らすことがいちばんよい方法かもしれない。 少し食べ、少し飲み、そして早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。」 1798年、パリ近郊のシャラントンに生まれた。 父は外交官シャルル・ドラクロワだが、実の父親はナポレオン帝政下などで 外務大臣を務め、ウィーン会議のフランス代表として知られる シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールだといわれている。 苗字を分解するとde la croixで、「信仰(信条)に生きる者」を意味する。 1822年に始まり、ジュール・ヴェルヌと共にノートが失われて 1824年に中断、1832年に再開され、1863年の彼の死まで続いた。 このドラクロワの個人的な日記は、この画家の文字通りの傑作である。 そこには絵画、詩、音楽についての考えが書き留められている。 そこにはジョルジュ・サンド、 ショパン、 シャブリエ等との議論が記録されている。 それは単に画家の生活や彼の不安についてにとどまらず、 19世紀半ばのパリジャンの生活の日々の証言になっている。 1832年、フランス政府の外交使節に随行する記録画家としてモロッコを訪問した。 1834年の『アルジェの女たち』は、モロッコ旅行の際のデッサンをもとに 制作したものである。 1830年代以降は、リュクサンブール宮、パリ市庁舎など、 政府関係の大建築の装飾を数多く手掛け、1863年に死去するまで旺盛に制作を続けた。 著「民衆を導く自由の女神」「ダンテの小船」など。
金を稼がんとせば、金を使わねばならぬ。
ローマ 喜劇作家 Titus Maccius Plautus (ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス). 紀元前254年-紀元前184年 「十人の聞きしことよりも一人の目撃のほうが価値あり。 」 メナンドロスらギリシア新喜劇を自由に翻案して,ローマ風に改作し, 民衆の活発な言葉を用い,機知・駄洒落(だじゃれ), 複雑巧妙な筋運び,唐突な展開などを得意とした人物。 著「ローマ喜劇」など。
勝利は苦戦のあとに来る。
フランス 政治家 Georges Clemenceau (ジョルジュ・クレマンソー) . 1841年-1929年 「平和を手に入れるより、戦争を始める方がはるかに易しい。 」 南北戦争中のアメリカに留学。同時にフランスの新聞の特派員を勤めた人物。 ドイツの分割政策に反対。フェルディナン・フォッシュ元帥と対立して訴訟合戦となった。 「ドイツの方角を睨んだまま、立った姿勢で埋葬してもらいたい」と遺言し、その通りに葬られた。
労働をなさざる人に真性の快楽は決して与へられず。
日本 小説家 Takeo Arisima (有島 武郎).1878-1923 「愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ。」 志賀直哉や武者小路実篤らとともに「白樺派」の中心を担った人物。 ハーバード大学でホイットマンやイプセンらの社会主義に傾倒。 また、西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受けた。 同人誌「白樺」に参加し。「かんかん虫」「お末の死」などを発表。 後、「或る女」を発表。 婦人公論記者で人妻であった女性と軽井沢の別荘で心中。 著「生まれ出づる悩み」「迷路」など。
世の中に成功の秘訣なるものがあるとすれば それはよく他人の心の中に入り 他人の立場から物事を扱うことができる才能にほかならない。
力不足だからこれはできないと思ってはいけない。 真心がその不足を補ってくれる。
顧客に求められたら決してノーと言ってはいけない。 相手が月をほしがったとしてもだ。 とにかくやってみる余地はある。 いずれにしても、ダメだったあとで 説明する時間はたっぷりある。